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自分憲法


・良いものを食べること
・感情を大事にすること
・有意義に過ごすこと


できるだけ。気持の負担にならない程度に。

一夫多妻制と不倫

あたしゃ、人間は一夫多妻制の生き物だと思うんです。
人間の前段階の猿だってそうですから。

一夫一婦制は強いヤツばっかり女を囲ってズルい、みたいなヒガミからきてるんじゃないかと思うんです。
だって、強い男に女が群れたほうが、種としてはよりいい個体を残せるんですから。普通に考えて。
王様とか将軍とかよく側室もってましたし。

そんなわけで、
結婚している男性を好きになって関係をもってしまう、というのは、
種としてはむしろ自然な行為におもえたりもします。


……とはいうものの。


一夫多妻制の「制度」がある場合に、1人の男性に複数の女性がいるというのはOKだとおもうのです。
なぜかというと、夫はすべての妻に対して社会的責任があるからです。
社会の中で生きているので、プライドがあればおろそかにできないはずです。
朝鮮王朝時代のドラマ観ても、王の側室は”嬪(ピン)”という高い位についてケアされてたりします。

ですが、一夫一婦制の中での「不倫」は、人の目を忍んで行われるので、男の社会的責任は発生しません。
そういう中で、結婚している男が不倫している女の子を大事にするとは思えなかったりします。
男はラクな方に流れる生き物ですから。

「いいの、別にそんなこと期待してないし、たまたま、好きな人が結婚していただけ。」

と言いたいかもしれません。
たぶんどこかで仕入れてきた言葉でしょうが。

「奥さんと別れて、私と結婚するって言ってくれてるし。」

って、ことかもしれません。
でも、そんな女子達には、下↓のセリフが吐けるくらい強いコになってほしいです。

「じゃ、奥さんと離婚したあとで、私と付き合おうよ。」

ちなみに、私ならこう言います。

「奥さん、大事にしたげてください。」

奥さんの不幸の上にある自分の幸せはヤだったりするからです。

なんと!

4年もやってたのね。このブログ。
よく続いてたなあ。

2008年1月に日笠雅水さんという超有名な手相観の方に観てもらってから、このブログは始まります。

何か表現した方がいいとのことで、手軽にできるブログなど書いたら、という事で始まったのですが、観てもらった日に宿題が出ていまして、「苗字と名前のあるペンネーム(ハンドルネーム)を今日決めるのよ。」と。

で、その時は静岡に住んでいましたから東京駅付近に泊ってまして、せっかくだから画数とかいいほうがいいんじゃないかと、八重洲ブックセンターに行きまして、姓名判断の本を買いました。

ただ、姓名判断なんてにわかに分かるものでもないので、全体として運勢が点数で出るやり方のにしました。
これだと、70点より85点のほうが良いなというのが一目瞭然なので。

本当はオクラバニラとか、なんかおしゃれな名前にしたかったのですが(当時うるまでるびが流行ってたので)、点数を気にしてつけました。

玉は宝の意味です。千は大きな数を表しますから宝物がいっぱいの経済的にも才能的にも豊かな感じでいいんじゃないかと自分では思っています。

手相観の先生も「苗字と名前があるヘンな名前」とおっしゃってたので、これが私の名前なのでしょう。


ほんとは以前、本は出したことはあるのですが、その時は会社の業務の一つだったので、表現とは違うかなと思ったりします。

表現とはいうけれど、それは自分の事を人に話すというのではなくて、みんなが潜在意識下では思っているけれど、常識とか情に引っ張られて言えないものを、ツンツンと突いて吐き出させるような、そんな事をしたいんじゃないかと最近思います。

おいらの大好きな苫米地先生が 「革命はマジョリティから起こる」 と仰ってましたが、今見えないマジョリティをツンツンとつついて目覚めさせる人になりたいものです。

ありのままでない私らしさ

だいぶ以前に だめんずうぉ~か~ を読んでいて、ヤリチンがモテる努力をしない地味な人間に向かってこう言ったのです。

「素の自分じゃなくて無の自分」

ヤリチンに言われたかないというのはありますが、そうは言っても腑に落ちてしまいました。

よく、恋愛において語っているときに、こんな言葉を聞くことがあります。

「ありのままの自分を愛してくれる人がイイ。」

これ、一見いかにもですが、自分の言葉でさえないわけです。
どっかで聞いてきた言葉を使っているだけです。
レンジでチンしただけのお惣菜だけ詰めて、お弁当作ってきたよって言っているようなものです。

最近、自分らしさというのは、ありのままという意味ではないのだなーと思ったりします。
努力しないわけではなく、むしろやれる努力は全てやることではないかと思ったりします。

努力して、努力して、そうすると、その先に確信が出来てきて、他のみんなは違うと言うけれど、でも自分はこの点に絶対的な確信がある。

イケると思う。だから行く。

そこが人と違うところになって、すなわり”自分らしさ”になって行くのかなと。

そう思ったりします。

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媚びるでもなく、奪うでもなく

ブログネタ: あなたが目標にする人は?参加数 女が自分の価値を上げようとするとき、男に負けまいと肩で風を切るようにストイックに仕事をしてみたり、あるいはそういう能力がない場合は逆に男に媚ることで豊かになろうとしたりする。

今から20年前に出版され、内容はそれ以上前に書かれた「ただの私(アタシ)」という本がある。講談社、飯村隆彦編、 オノ・ヨーコ著だ。

女性社会になることは、男が作った社会なるものを取り上げることではなくて、包み込むことだと言っている。

「 私は、いま、自分が宇宙とつながっているということを確信している。(中略)
宇宙とつながってるだけならいいけど、社会とつながっているから、それで苦労するんだよ 」

そんな言葉に、遠赤外線にあたるように、体の、胸の奥の方からふるふると温められて、涙がちょっとだけ融点を超えてしまったりした。

こういう人にアタシはなりたい。

努力がどうして報われないか

一生懸命やっているからといっても、たいてい報われない。
誠実にいたとしても分かってはもらえない。

努力が報われるのは、たまにだけだな、と、思っていました。

で、なんか、最近ふと理解しました。

たとえば、電車で400円の区間を乗って目的地につくためには、400円が必要だよなと。
390円じゃだめだよな、と。

金払ったから連れてけと言ったって、10円でも足りなきゃだめだよな、と。

報われるためには、きっちり必要分の努力が必要で、ちょっとでも足りないとだめなのだと。

毎回報われない人は、毎回10円ケチっているんじゃないかと(自分も含めてね)。

400円分報われたければ、規定の努力を払わんといけないと。

毎回400円分払えば、毎回報われるんじゃないかと。

そんな、シンプルな結論に

ようやく辿りつきました。

ブログネタ: “努力は報われる”と思う?参加数